長野県の山岳ガイドINDEX

はりのきだけ針ノ木岳三等三角点2820.6m  スバリ岳標高点2752.0m (大町市)

シナノキンバイのお花畑と針ノ木岳山頂付近を展望 onMouse 爺ヶ岳登山道(柏原新道)から展望
毎年6月の山開きの行事として針ノ木大雪渓でで「慎太郎祭り」が行なわれている
 日本三大雪渓の一つである針ノ木大雪渓を登り詰めたところにある針ノ木峠は戦国時代の武将、佐々成政(ささなりまさ)の針ノ木峠越え伝説としても有名。 また大雪渓未端にある大沢小屋と峠にある針ノ木小屋は日本で最初に山案内人組合を創った百瀬慎太郎(ももせしんたろう)が建てたことでも人気がある。

アニバーサリー自然観察山行針ノ木大雪渓2009年8月9日
新越山荘から花の岩稜線を歩く針ノ木岳2007年7月29日A ■2007年7月29日B
シナノナデシコを初めて見た針ノ木大雪渓2004年7月14日 ■2005年8月7日
春の遅雪は汚れを落とし一面の銀世界に針ノ木大雪渓2004年4月25日
○○○○針ノ木大雪渓2003年9月27日
三十年ぶり、懐かしい登山道針ノ木大雪渓2003年8月13日

針ノ木大雪渓コースマップ
新越乗越縦走コースマップ
大町&高瀬川エリア目次


針ノ木大雪渓コース
○○○○登山口:000m
    0.0km
○○○○○:  000m
    0.0km
○○○○○:  000m
    0.0km
○○○○○:  000m
    0.0km
○○○○山頂:1000m

■登山口と山頂までの標高差:約 000m
■登山口から山頂までの距離:約1000m

■駐車地:○○○○○○○○○○○○○○○
■トイレ:○○○○○○○○○○○○○○○


○○○○コース
○○○○登山口:000m
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○○○○○:  000m
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○○○○○:  000m
    0.0km
○○○○山頂:1000m

■登山口と山頂までの標高差:約 000m
■登山口から山頂までの距離:約1000m

■駐車地:○○○○○○○○○○○○○○○
■トイレ:○○○○○○○○○○○○○○○


見どころ ■扇沢ターミナル

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若き日の思い出
未だ車の免許もない頃(定かではないが1964年頃)、友人と針ノ木岳に登ろうと今はその姿さえ見
ることがなくなったボンネットバスで長野駅から大町行のバスに乗った。途中小川村高府中継所
で乗り換えるのだが、中継所はトイレ休憩地にもなっていた。現在も小川村旧道沿いには中継所
が当時のまま残っている。乗り換えたバスもやはりボンネットバス。美麻村(現大町市美麻)辺り
から舗装されておらず「♪田舎のバスは…」の如くデコボコの坂道を蒸気機関車のように排気ガ
スを出しながら大町市に向かった。大町駅から木崎湖キャンプ場へどのように辿ったか忘れてし
まったが、木崎湖畔にお昼頃着いたと思う。貸しテントを張り、その日は木崎湖泊となった。朝
一番木崎湖を発ち扇沢へ。梅雨明け間近の7月、その時の色褪せた写真を見るとガスがたちこめ
ていたが、何の不安も持たず針ノ木岳に向かって雪渓を登った。このころ若者(?)のレジャーと
言えば登山か海水浴しかなく、しかも現在のように中高年登山者はあまりいなかったような気が
する。そしてその時の若者が今、いにしえの良き時代を彷彿しながらあの山この山と挙って登っ
ているのではないかと思ってならない。そう自分がそうであるように…。
それから五年後、登山仲間三人と再度、針ノ木岳に登頂した。この時の思い出は、あのゴワゴワ
した黄土色のテントを背負い、同行の一人は箱型の無線機を持ち上げての山行だった。マヤクボ
雪渓付近で三人共バテバテになったことだけが思い出される過酷な山行だったが、天泊や山頂の
ことはほとんど記憶から消えている。二十代最後にもう一度訪れたが、その時は単独山行だった
ことと天気が良くなかった事しか覚えていないが、これを最後に三十年近く経とうとしている。