アメリカチアリーディングの歴史

始まりは・・・


何が始まりか、確かめることは困難ですが、初期の段階において、ノースイーストで初期の段階において、チアが始まった地であることは、いろいろ説がありますが、間違いありません。

しかし、当時はまだ、チアスピリットなどはまったく考えられていませんでした。

1869年のプリンストンとラトガーズの大学フットボール(アメリカンフットボールでさえ創世記に近かった。)の試合において、ナッソーホールの人々が"Sis Boom Rah!"と叫び声を上げました。その後、数年後にはプリンストン大学の中に、はじめての応援クラブが設立されました。

そして、1880年代初めにはじめての、コール:Ray, Ray, Ray! Tiger, Tiger, Tiger! Sis, Sis, Sis! Boom, Boom, Boom! Aaaaah, Princeton!が叫ばれたのです(これは現在の"Go-Fight-Win!"につながります。)こうして、大学のフットボールでは、次第に観客の応援をリードするようになってきました。

1884年には、プリンストン卒業生トマスがミネソタ大学にプリンストンの応援方式を伝えました。(同時に、フットボールも伝えたといわれています。)

それと同時に、大学のフットボールと応援方法は人気となりました。そして、応援歌は人気を獲得し始めました。

しかしながら、さらにこの応援方式が進歩するには、この後、ジョニーキャンベルが登場して、チアリーディングの概念を確立するのを待たなければなりませんでした。

チアリーディングはいつ、誰が、どこで、どのようにして進んできたのでしょうか。

1898年ミネソタ大学医学生ジョニー・キャンベルは、シーズン最後のフットボールの試合において、チームを奮い立たせるため、声を出して、観客の応援をリードしようと提案します。

そこで、彼は"Rah, Rah, Rah!Ski-U-Mah! Hoo-Rah! Hoo-Rah! Varsity! Varsity! Minn-e-so-tah!"と応援をリードして、選手の士気や観客の応援をリードしました。ここで、組織立った応援、コール、メガホン等現在でもおこなわれている、応援方法が確立されました。

ここにチアリーディングの基礎が誕生し、アメリカ国内に紹介されたのです。(ちなみに、キャンベルの応援したチームは17対6で勝ちました。)

1900年代ガンマ・シグマ(はじめての男子大学生のチアリーダークラブ)が設立されます。

1910年イリノイ大学は、大学の同窓会の祭典ではじめました。

1920年代女性の大学生は、応援に没頭するようになります。ミネソタ大学のチアリーダーは体操をルーチンに加えます。リンドレー・ボスウェル(オレゴン州立大学および南カリフォルニア大学の「チア先導者」)は、巨大な絵を作成するために有色のカードを使用して、フラッシュカード応援
席を発明します。

1927年コール(ウィリスブッビーがはじめて、チアについて本を書いた。)は、シラキュース(ニューヨーク)のブッビー会社によって公表されます。

1936年現在のチアの基礎を確立した、ジョン(ジョニー)キャンベル博士が、11月23日に、暴風雨の中、患者のところに行く途中に自動車事故で死にます。

1940年代多くの男性が、第二次世界大戦に行く中で、少女達がチアに熱中していきます。 ローレンス (南メソジスト教徒の大学の元チアリーダー)は、サム・ヒューストン州教師ハンツヴィル、テキサスの大学(今の州立大学)で最初のサマーキャンプを実施します。52人の学生が参加しました。

1950年はじめてのNFLパフォーマンスグループができて2年後、ロバートオルステッドが、サンタクルーズ(CA)のフォーティーナイナーズ・ゲーム参加させようと計画し、そのパフォーマンスグループのためにサマーキャンプを実施します。


1950年代ハーキマーはハーキージャンプと呼ばれる技術の開発などをはじめとして、永遠にチアリーディングにとって忘れられない人物になりました。


1951年ハーキマーはthe National Cheerleaders Association (NCA)と共に秋のワンディを開催しました。


1956年ハーキマーはクレープペーパーから現在のポンポンを発明しました。それは当時、ポンポンとかシェイクルーと呼ばれました。


1957年この年、 NCAは、チームスピリット、チーム運営のために基本的考えを作成しました。


1959年こうした活動が、アメリカ西部で広がりをみせ、ポンポンガール(現在のソングリーダー)のためのキャンプを開催します。


1960年代ハーキマー達は1960年のオリンピック村でキャンプを実施しました。次の年までに約600人の参加者がありました。


1964年International Cheerleading Foundation(I.C.F)は、ランディーL.ニール(カンザス大学のリーダー)によって設立されます。1968年にはランディが初めて、タンパで製造会社(フレッドGasthoff)によって発明されたビニール製のポンポンを使用します。


1967年チアリーディングによる応援が広がりをみせ、ワーナーホップフットボール大会に参加します。そして、それは、1988年その大会の一部としてのコンペティション大会の始まりとなります。

1970年代チアリーディングがポピュラーになるために、スタンツ、ピラミッド、ダンスが導入されていく年代


1971年ICFは、功績の良いチアリーダーを表彰する"Cheerleader All-America Awards"を開始しました。


1972年多くのスポーツと同じく、女性のためのチアリーディングが盛んになり、プリンストン大学を卒業したマイケルオルスタッドは家族と共にカルフォルニアでキャンプを開催しますが、彼は効果的なプログラムを提供するとともに、1973年には、初めてのマスコットキャンプをディズニーランドでマスコットをしているエキスパートの助けをかりて開催しました。


1974年Universal Cheerleaders Association (UCA)が、NCA会長と理事、オクラホマ大学の元チアリーダー、ジェフウェッブによって、設立されました。UCAは、始めにパンフレットを公表しその中で、個人教授プログラムを提案し、そのサマーキャンプでリバティ、トスを実施しました。
その後このキャンプは、チアリーディングとドリルチームの他の範囲を広げ、 United Spirit Association (USA)と名前を変えました。


1978年ICFは、CBS-テレビでチアリーディングの選手権大会を放送し始めました。


1979年UCAは、選手権に高校部門を設け、その年のサマーキャンプで、バスケットトスを始めました。イレーン・ハートと共同執筆されたランディー・ニールの公式チアリーダーハンドブックが、て出版されます。

1980年代チアリーディング競技がメジャーになり、大きなスポーツ大会では、ますますチアリーディングの重要性が高まってきます。そこで、チアリーディングに関して、ルールが整備されていく年代です。


1981年Eastern Cheerleaders Association (ECA)がジャニス・カーターによって設立されます。


1982年チアリーディングはイギリスに普及し始め、つづいてドイツ、日本と広がっていきます。この年、チアリーディングに関しての、安全ガイドラインの整備が実施され、ホップワーナーがコーチのために公表します。この目的は、「全てのチアリーディングを楽しむ方のために、安全で、
監督された組織でチアリーディングを提供するため」でした。


1983年ESPNは、以前から放映していたチアリーディング選手権大会の放映をさらに強化し始めます。今日、ESPNおよびESPN2、両方選手権大会の前身となります。エリザベスおよびブライアンによってオハイオの学校にチアリーディング部が設立されて、それが1987年のアメリカの代表チアリーダーになります。


1985年Score Camps Incorporatedがケアリー・コールマンによって設立されます;最初の国内大会は'89年に開催されます。'96年には、大学奨学金プログラムを提供するためにFCCと改名されます。


1987年州高校協会(NFHS)は学校間のチアリーディングコーチのために専門委員会を組織して、チアに関してのルールやコーチングに関する検討を始めました。そして、まとめられた本は、1988年に出版されます。この年、COAが元オハイオ州のチアリーダースティーブンによって設立され
ます。そして、チアリーダーに対しての奨学金を始めます。当初は15,000ドルでしたが、10年後には36,000ドルになりました。ICFは国際的なチアの選手権大会(IOCC)を始めます。この大会は10年後には、賞金額10.000ドル以上の大会となります。また、この年は、チアの団体が数多く設立されます。


1988年チアリーディングは、ますます広がり、この年、CHEER.LTDやUPAが設立されます。


1989年The American Association of Cheerleading Coaches and AdvisorsとUCAは、コーチと選手のために安全プログラムを開発します。

参考:アメリカンチアリーディングマガジン:アメリカのチアリーディングの歴史より